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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)8502号 判決

原告 日本瓦斯化学工業株式会社

右代表者代表取締役 有沢忠一

右訴訟代理人弁護士 渡辺法華

被告 富士栄不動産株式会社

右代表者代表取締役 斉藤頼夫

右訴訟代理人弁護士 大政満

同 原謙一郎

同 石川幸佑

主文

一、被告は原告に対し、別紙物件目録記載の建物の二階部分の明渡と引換えに、金六、四六四、二九一円を支払え。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを二分し、各一を原告、被告の負担とする。

四、この判決は、原告が、金二、〇〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一申立

一、原告

1、被告は原告に対し、金六、四六四、二九一円およびこれに対する昭和四四年七月一五日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

2、訴訟費用は被告の負担とする。

3、仮執行宣言。

二、被告

1、原告の請求を棄却する。

2、訴訟費用は原告の負担とする。

第二主張

一、原告

(請求の原因)

1、(一) 原告はメタノール、尿素、硫酸アンモニア等の製造販売業を目的とする、被告は不動産賃貸業を目的とする各会社である。

(二) 原告会社は、昭和三八年六月一五日訴外大塚富次との間で、同人所有の別紙物件目録記載の建物(以下本件ビルという)の二階部分一七六、八五平方メートル(以下本件借室という)をその対象として次のような賃貸借契約(以下本件賃貸借という)が締結された。

(1) 賃貸借期間 昭和三八年七月一日から五年間。

(2) 賃   料 一ヶ月二三〇、〇五〇円、前月末日払。

(3) 敷金保証金 敷金一、三八〇、三〇〇円、保証金六、六四四、七〇〇円

(4) 特   約 イ、賃料は賃貸人、賃借人協議の上改訂することができる。

ロ、賃貸借契約が終了し、賃借人が借室を明渡したとき、賃貸人は敷金、保証金を直ちに賃借人に返還する。

原告会社は、右約定により、昭和三八年七月一日までに右大塚に敷金、保証金(以下本件保証金という)の全額を差入れ、本件借室の引渡を受けた。

(三) 被告会社は、昭和四三年五月九日競落により、いわゆる賃貸ビルである本件ビルの所有権を取得し、同年六月五日その旨の登記を経由した。

右所有者権の移転に伴い、被告会社は本件ビル内の借室について前記大塚の賃貸人たる地位を承継したが、本件保証金は敷金と同じく本件賃貸借の重要な要素を構成するものであり、本件保証金返還債務(本件借室の明渡と同時履行の関係にある)も被告会社は承継したものである。

(四) ところで、被告会社は前記のように賃貸人たる地位を承継した後、原告会社ら本件ビル内の借室賃借人の再三にわたる申入れにも拘らず、共益費の徴収、掃除、修繕など本件ビルの管理を放置し、その一方、昭和四三年七月九日には原告会社に対し、一方的に賃料を二六四、五五七円に値上げする旨通告し、しかも、右ビルの管理、賃料等について原告会社と協議中の同年一〇月一日原告会社に対し、賃料を三ヶ月遅滞したとして、本件賃貸借解除の意思表示をなし、さらには本件借室の明渡訴訟の提起にまで及んだ。なお被告会社は本件保証金、敷金の返還債務の承継を承認しようとしない。

右のような被告会社の行為または態度は、賃貸人としてなすべき当然の義務、もしくは賃料改訂について定められた前記協議義務に違反する行為、または、本件賃貸借の継続を困難ならしめる重大な事由に当る不信行為である。

(五) 原告会社は被告会社に対し、昭和四四年七月一四日本件借室を明渡すとともに、同日到達の書面をもって、前記事由により本件賃貸借を解除する旨の意思表示および本件保証金の返還請求をした。

仮に、本件ビルの前記所有権の移転によっては、被告会社は本件保証金債務を承継することがないとしても、被告会社は次のように原告会社に対しこれを弁済すべき義務がある。すなわち、

(一) 前記大塚は不動産賃貸業を営むものであり、本件賃貸借は契約当事者にとって商行為である。

(二) ところで、同人は昭和四二年四月六日東京地方裁判所において破産宣告を受けたので、本件保証金返還債務は破産法第一五条、第一七条によりその支払期限が到来したものとみなされたから、原告会社は自己の占有にある本件借室につき、本件保証金返還請求権に基づく留置権を有する。

(三) 前記のように、被告会社は本件ビルを任意競売により競落したのであるが、任意競売に準用される民事訴訟法六四九条第三項により、被告会社は事件保証金返還債務を前記大塚から承継した(参照、大審院判決昭和一三年四月一九日言渡、民集一七巻七五八頁)。

(反対主張に対する答弁)

1 反対主張1は認める。

2 しかし乍ら、現在、ビル賃貸借において保証金の授受は殆んど例外なしになされているもので、定型化している。

一般に、保証金は無利息または普通預金の利息にも足りない利息が付されるにすぎないから、その授受により賃貸人は通常の市中金利(約年一割)相当分の利益を得ることとなるが、それは実質的には賃料の一部にほかならない。したがって、保証金を差入れる差入れないにより賃料は高くもなり、安くもなるのであって、保証金の授受はビル賃貸借の重要な条件の一つとなっている。

3 また、保証金の弁済期は一応賃貸借期間とは別個に定められていても、賃貸借の終了とともに弁済期が到来するものとされる。このことは、保証金が賃貸借の一部を構成するものとして、賃貸借と運命をともにすることを示すものである。

4 さらに、賃借人は債務不履行があり、賃貸人に損害を及した場合には、保証金は相殺の対象となるものであり、敷金が差入れられているからといって、その損害担保的性質を有することは否定できない。

5 本件保証金も以上のような性格を有するものであるから本件賃貸借契約関係の一部として、その返還債務は賃貸人たる地位を取得した被告会社に承継されるものである。

二、被告

(請求の原因に対する認否)

1 請求原因1、(一)、(二)は認める。ただし、本件保証金の差入れは本件賃貸借とは別個の消費賃借契約に基づくものである。

2 同1、(三)のうち、本件保証金返還債務を承継したとの点を争い、その余は認める。

3 同1、(四)のうち、被告会社が原告会社に対し、原告主張のとおり賃料の値上および本件賃貸借解除の意思表示をなし、かつ本件借室の明渡訴訟を提起したこと、本件保証金返還債務の承継を承認しないことは認め、その余は争う。

4 同1、(五)のうち、原告会社が本件借室を明渡したことは否認し、その余は認める。

5 同2、冒頭は争う。

6 同2、(一)のうち、訴外大塚富次が不動産賃貸業を営むことは不知。

7 同2、(二)のうち、同人が原告主張のとおり破産宣告を受けたことは認め、その余は争う。

8 同2、(三)のうち、被告会社が本件ビルを競落したことは認め、その余は争う。

(反対主張)

1 本件保証金は次のような約定のもとに原告会社から前記大塚に差入れられたものである。

(1) 保証金は五年間据置として、六年目以降一〇年間に毎年均等返還する。

(2) 利息は六年目から保証金元金に対して日歩五厘を附し、毎年支払う。

2 そして、原告主張のように本件保証金は賃料六ヶ月分に相当する敷金とは別個に差入れられており、滞納賃料等の担保とはなっていない。

3 要するに、本件保証金は前記大塚が本件ビルの建設代金または既に調達した建設資金の返済に充てることを目的としてその賃借人たる原告会社から借用した金銭であって、本件保証金差入れ契約は本件賃貸借とは別個の消費貸借契約にほかならない(参照、昭和四〇年三月三一日間消一号国税庁長官通達)。

4 したがって、本件ビルの所有権取得によっては、被告会社において本件保証金返還債務を承継することはない。

第三証拠≪省略≫

理由

原告主張の請求の原因1、(一)ないし(三)は本件保証金契約関係が本件賃貸借関係に属するものとして、被告会社が本件保証金返還債務を承継したとの点を除き、当事者間に争いがない。

そこで、右本件保証金債務承継の有無について検討する。

被告の反対主張1は当事者間に争いがないが、その事実、前示本件賃貸借終了の場合の本件保証金返還の約定ならびに≪証拠省略≫によれば、本件保証金は賃貸人である大塚富次において賃貸借物件である本件ビルの建築資金として他から借入れた金員の返済に充てることを主目的として、原告会社に限らず本件ビルの賃借人をして差入れさせたものであり、本件保証金契約は本件賃貸借と一体不可分なものとして締結されていることが認められ、これに反する証拠はない。そして、右契約の趣旨内容からして、本件保証金契約は消費貸借契約と解するのを相当とし、そのような保証金が賃貸借契約の一般的成立要素でありえないことはいうまでもない。

しかして、そのことから直ちに、本件ビルの所有権移転に伴って当然に移転する賃貸人の地位に本件保証金関係が含まれないという結論が導かれるものでないことは、賃貸借契約とは別個の特約に基づく敷金関係が新所有者に承継されることに確定しているところをみても明らかである。それは当該契約関係の目的性質から照らし決せらるべき問題といわなければならない。

そのとき、本件保証金関係はその成立においてもまた、存続においても、本件賃貸借関係を離れては存在しえないものであること、その実質をみれば、多額の金員を無担保、長期間据置後名目的低利息の年賦払という賃貸人に一方的に有利な内容の契約が、経済人として対等な地位にあるとみられる当事者間において締結される所以は、それによって賃貸人の受ける利益が実質的には賃貸借物件の使用の対価、すなわち賃料の一部を構成するからにほかならないと認められること、また、本件保証金が原告会社の本件賃貸借上の債務を担保する機能を附随的に有すること(一般的に肯定される点であるが、本件賃貸借契約においては特に、契約終了の場合の本件保証金の返還は賃貸借上の債務が完済されたときなされるものと定められていることが、≪証拠省略≫により認められる)からすれば、本件保証金関係は本件賃貸借関係の実質的内容を成すものとして、賃貸借物件である本件借室の所有権の移転に伴い、敷金関係と同様新所有者に承継されるものが相当である。

そして、そのように解釈しても、本件におけるような保証金関係を新所有者が承継すること自体は新所有者にとっても賃貸人にとっても特に不利益とはならないものであり、問題は旧所有者が無資力の場合の危険負担と、その場合の、またはその危険を回避するための労力の負担であるが、前掲証言に徴してもビル賃貸において保証金の授受はかなり広汎に行われていることを窺い知ることができるのであるからビル譲受人にとってそのことは予測不能ではなく、既に敷金関係について右と同様の危険負担、労力負担を免かれない以上、前示のような保証金について右危険または労力負担を新所有者に負わすことが衡平を失するとは考えられない。また、競売において保証金の有無、額が公示されないとしても、公示の有無により賃貸借関係の内容が決せられるものでない以上、その点のみでは、保証金関係の承継を否定する根拠とはならないというべきである。

そうとすれば、被告会社は前示本件ビルの所有権取得により、本件保証金関係も承継したといわなければならない。

次に、被告会社が昭和四三年一〇月一日原告会社に対し、本件賃貸借解除の意思表示をなし、これに対抗して、原告会社が昭和四四年七月一四日被告会社に対し、本件賃貸借解除の意思表示をなしたことは当事者間に争いないが、右のような場合、遅くも原告会社の右解除の意思表示がなされた日をもって、本件賃貸借が終了したと認めるのに妨げないというべきである。

ところで、本件保証金返還債務が本件借室の明渡と同時履行の関係に立つものであることは、原告の自陳するところであり、原告会社が被告会社に本件借室を明渡しまたはその提供をなしたことを認めるに足りる証拠はないから、原告は被告に対し、本件借室の明渡と引換えにのみ、本件保証金の返還を求めることができるに止まり、他方、被告会社はそれまでは、本件保証金返還債務につき履行遅滞に陥らないといわなければならない。

よって、原告の請求は、本件借室と引換えに本件保証金の内金である金六、四六四、二九一円の支払を求める範囲において理由があるので、これを認容し、その余は理由がないので失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条、仮執行宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 豊島利夫)

〈以下省略〉

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